30:声を大にしてワカラナイと言う
たとえば、こういう文章。
とある教授の話によると、人間には「過去志向」「現在志向」「未来志向」がありまして、6割過去志向、2割未来志向。現在志向の人はレアで変人、ということらしい。それはその人の持論で、私はそれほど的を得ているとは思わないが、分類の仕方には興味がある。
実際の感じ方はともかく、「現在志向でありたい」願望を持つ人は少なくないと思う。過去にとらわれがちな人でも現在を大切に生きたい気持ちはあると思うし、それが美徳とされる風潮も強い。「いま、この瞬間を生きる」とはどういうことか。死を意識しろとか、自分の道徳規律に従えとか、色々な思想が求めているのはコレなんじゃないかという気がする。
自分を大切にするのが一番難しいと私は思ってしまうが、それがとりあえずの第一条件かもしれない。自分の過ごし方を、自分でコントロールする。自分で自分だけの「いま」を、自分に問いただすように噛み締める。それをせずに放り出していた時間は返って来ないし、そこで得られたはずの獲物とはもう一生出逢えない。そんなことばっかり考えていると、過去に囚われたり未来に悩むヒマが無いように思うが、そうではない。
時間は「過去/現在/未来」というサンドイッチ構造では決してない。図にするならば、現在(+過去)→→→未来という感じだろうか。過去は後ろに置いて行くものではなく、現在に連れ回しているもの。未来は進むにつれ近づくものではなく、いつも少し遠くの目の前に変わらずあり続けるもの。そんな気がする。いまこの瞬間に、他の誰でもなく私が持っている「過去」は明日になったら姿を変えてしまう。忘れることと、覚えることと、思い出すことが組み合わさって、いつも私は違う過去を持ちあるく。未来だと思っていた時間が過去に吸い込まれるのはあっという間だけれど、そんなことを言っていても新しい未来が遠くから次々と向かってくる。それを迎え入れるのに忙しい。大切にしなきゃいけないと思っている「現在」って、予想よりもはるかに輪郭がぼやけていて捕まえにくいのかもしれない。だから必死なんじゃないかな。
よくわかっていない事柄を、つたない言葉で表現する。この態度をとり続けないと、思考が鈍って行く。それが言いたかった。研究者になれなくても、探求や研究が必要なところに行こうとしている私は、きっとこれからも分かっていないくせに何かを言おうとしてもがく。意味が無いことではないはず、声に出すことで分かることもある。そう信じて真摯に、人間世界のややこしい色々に取り組んで行きたい。どうかこれからも、お付き合いください。


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