十代最後ノ抵抗

2007年9月30日 (日)

30:声を大にしてワカラナイと言う

たとえば、こういう文章。

とある教授の話によると、人間には「過去志向」「現在志向」「未来志向」がありまして、6割過去志向、2割未来志向。現在志向の人はレアで変人、ということらしい。それはその人の持論で、私はそれほど的を得ているとは思わないが、分類の仕方には興味がある。
実際の感じ方はともかく、「現在志向でありたい」願望を持つ人は少なくないと思う。過去にとらわれがちな人でも現在を大切に生きたい気持ちはあると思うし、それが美徳とされる風潮も強い。「いま、この瞬間を生きる」とはどういうことか。死を意識しろとか、自分の道徳規律に従えとか、色々な思想が求めているのはコレなんじゃないかという気がする。
自分を大切にするのが一番難しいと私は思ってしまうが、それがとりあえずの第一条件かもしれない。自分の過ごし方を、自分でコントロールする。自分で自分だけの「いま」を、自分に問いただすように噛み締める。それをせずに放り出していた時間は返って来ないし、そこで得られたはずの獲物とはもう一生出逢えない。そんなことばっかり考えていると、過去に囚われたり未来に悩むヒマが無いように思うが、そうではない。
時間は「過去/現在/未来」というサンドイッチ構造では決してない。図にするならば、現在(+過去)→→→未来という感じだろうか。過去は後ろに置いて行くものではなく、現在に連れ回しているもの。未来は進むにつれ近づくものではなく、いつも少し遠くの目の前に変わらずあり続けるもの。そんな気がする。いまこの瞬間に、他の誰でもなく私が持っている「過去」は明日になったら姿を変えてしまう。忘れることと、覚えることと、思い出すことが組み合わさって、いつも私は違う過去を持ちあるく。未来だと思っていた時間が過去に吸い込まれるのはあっという間だけれど、そんなことを言っていても新しい未来が遠くから次々と向かってくる。それを迎え入れるのに忙しい。大切にしなきゃいけないと思っている「現在」って、予想よりもはるかに輪郭がぼやけていて捕まえにくいのかもしれない。だから必死なんじゃないかな。

よくわかっていない事柄を、つたない言葉で表現する。この態度をとり続けないと、思考が鈍って行く。それが言いたかった。研究者になれなくても、探求や研究が必要なところに行こうとしている私は、きっとこれからも分かっていないくせに何かを言おうとしてもがく。意味が無いことではないはず、声に出すことで分かることもある。そう信じて真摯に、人間世界のややこしい色々に取り組んで行きたい。どうかこれからも、お付き合いください。

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2007年9月29日 (土)

29:想像力より高く飛ぶ鳥

飛べない鳥ってなぁーんだ。…それは、ひとり。

このセリフと、記事タイトルの寺山修司のコトバ(この後に「…は、いない」が付くのだが)。私が高校2年生の時に踊った作品の中の言葉で、今も私の心に強烈に焼き付いている。あのとき初めて私の心は、踊ることを知った。
あんな表現を、私もしたい。
音楽を聞こう。
本を読もう。
あなたの両目を見つめてみよう。

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2007年9月28日 (金)

28:心の矛先

傷つけることに対して、ものすごく鈍感になっているのではないかという仮定。これは、主語が「私:愛咲」なのだけれど、思い切って「現代人」にしてみても悪くはないと思う。
喧嘩をしたこともなければ、殴ったことも殴られたことも無い。いつも安全安心、襲われたことも無く、武器を持ったことなんかもありません。病気をしても、治ってしまう。飢えたことも乾いたこともない。ぬくぬくと、当たり前のように、物理的な死からははるか遠い所を歩いて来たような気がしてしまう。
それは想像力の欠如。ある意味での平和ボケ。そこからどういう事態に発展するかというと、肉体の危機に代わって精神の脆弱化が進行する。いとも簡単に、傷ついたと思ってしまう。マジな生命の危機を、ほんの少しの踏み出しで自分に引き寄せてしまう。戦いとか飢餓で死ぬことが減ったもんだから、バランスをとるってことなのか知らないけど、自分で死ににいく、簡単に殺しにいく。
なんだろう、私はあまり憎しみの感情を醜いとは思っていないのだけれど、すごく遠い目をしてみると、こうやってわざわざお互いを精神的に危ない方へ追いやろうとする傾向がある今の社会は、歴史を踏まえて言えば異常かもしれない。
割り切ってしまうことも出来るけれど、私は今、たまたま気をしっかり持っているから、フルーツナイフのように斬りつける言葉を相手へ浴びせている自分の姿を、我に返って気持ちが悪いと感じた。やっぱり知らず知らずのうちに、つま先があらぬ方向へ向いてしまっているらしい。何歩か歩いた所でいつもハッとする。このまま気がつかないっていう瞬間は、きっとふとした拍子にやってくる。
取り返しがつくだろうか、わたしたちは。

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2007年9月27日 (木)

27:ぶれない軸を

高校は普通科の公立共学だったんだけど、単位制で、個性化コースと国際文化コースがあって、まーぁ変わった学校だった。その「変わってる」ところがアイデンティティみたいな風潮が強くて、個性的であれ、変わり者バンザイ、変人は尊敬の対象…とまではいかないが、ちゃんと腰を落ち着けないとそういう表面的なことに流されそうな危うさのある、スリリングな学校だった。
多くの人が、一度は「自分の個性はどこにある」というようなことで悩んだ。けれども私や周りの人は、そこで見失ってはいけない事柄を知っていたから、答えを知ることができたように思う。
個性を求めていても、身の丈に合わない突飛なことをする人はカッコ悪い。個性とは、そういうその場しのぎのものではない。行動や言動は、あとから付いてくる。まずはぶれない価値観、自分なりの基準を強く持つことだ。
このことを見逃していると、今の自分が何をやっているか、どう評価されているかに左右されて落ち込んでしまったりする。これはあまり賢い生き方ではないと私は思う。自分の判断基準の甘さに迷うことはある。けれども、それすら気がつかないで、結果だけ見て、それを自分の実力だと思ってしまったら、自分を育てることが出来ない。案外陥りがちなところ。ついイライラしてしまう。
評価や出来は気になる。だけど一番気にした方が良いことは、自分の態度が納得のできるものだったかどうか。厳しく自分で評価をつけてみて、どのあたりのラインに届いているのか。
その作業を冷静にやらないと、経験は次に活きて来ない。自分の軸も育たない。これを書いている今はまだ舞台が終わっていないけれど、これからの日々でいかに鋭く自分達を批評できるかが、私の人間としての実力だと思う。

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2007年9月26日 (水)

26:武者修行

なんか変わりましたね。荒波に揉まれてきた感じがします、と、公演を観にきてくれたかわいい後輩(♂)に言われてしまった。言われるまで自覚してなかったけど、そういえば最近の私の干物っぷりはかなりの線を行っているかもしれない。まぁいい、そろそろ潔く可愛い路線を諦めて、たくましくなるか。武士道を極めようかな。うそです。
ふと思いついて、半年以上前に一度やったバトンをもう一度やってみる。自分のために。
19歳バトン

Q1.名前を教えてください。
愛咲(最近は名字で呼ばれることも増えたから困っている)

Q2.何年生まれの何座ですか?
S62年・てんびん座

Q3.今のあなたの身分は?(職業など)
大学生。振付家志望。

Q4.19才は何の年ですか?
回復の兆し、新しいヒカリを見つけた、わりと良い年。

Q5.今、何に夢中ですか?
目の前のことにがむしゃらです。頭がゆだるほど

Q6.小さい頃考えていた19才の自分と違いますか?
違うというか、19歳って微妙だから想像がついていなかった

Q7.自分の親が19のとき何をしていたと思いますか?
とても勉強してたはず

Q8.自慢できることは何ですか?
柔軟性とネバっこい動き

Q9.『19』で思い浮かぶことは?
326っていうデザイナーがいたよね

Q10.ちょっと休憩、一言どうぞ。
節目を大切にするのは、よく生きることにつながると信じたいです

Q11.経験済みですか?
いろいろと、とにかく経験不足だと思う

Q12.酒と煙草、ギャンブルはやりますか?
煙草をあまり非難する気はないが、ギャンブルは嫌だ

Q13.てか、本当に今19才ですよね?
いや、わからないぞ。ogkに敬語使われるし…

Q14.将来の夢は?
ダンサー、振付家、研究者だよう

Q15.18才から19才になった時の感想は?
なにも覚えてない。楽しいこともすぐ忘れてしまう自分が悲しい

Q16.まだ19才orもう19才?
まだ19歳。まだね。

Q17.19才のうちに成し遂げたいことは?
舞台を成功させて、あきちゃんに会って遊び、バンドの練習に行く。

Q18.20才になったら、まず何をしたいですか?
綱島に帰って地元の友達(UFC)と遊ぶ。

Q19.最後にバトンを回す人を19人を、あげて19。

そういうバトンでした。やりたい人どうぞ。
なにかを毎日欠かさず継続することは、とてもすごいこと。だけどそれも何年か続けてみないと、効果が現れないそうだ。毎日休まず何かをやっている人は、独特の凄みがでてくると思う。私に毎日できることって何だろう。あと5日くらいで答えを出してみたい。

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2007年9月25日 (火)

25:純粋持続をたしかめる

中秋の名月。天気は悪いと思っていたら帰る頃には晴れていた。月が綺麗だねぇ。ぼうっと眺めていると昼間30℃を超えたことなんて昔のことのようですほんとに。
少し前から今日にかけて、時間の経つスピードが加速していて、一日が次第に長く感じられるようになってきた。暦では日が短くなっているのに、身体内感は逆。瞬間ごとが引き延ばされている感じがします。
実際はそんなこと無いのに、頭がよく回っているような気分になる。いや、本当に頭がよく働いている場合もあるけど、今の私は違う、気分だけ。でもそういう時がないと、生きてる気がしない。私が「本番」に執着するのは、この感覚を求めてるんだなーと思った。集中力が自分の手に、指先に見えてる感じ。友人との会話の密度も濃くなる。論理的思考よりも、感情が刻々と変化する鮮やかさがいつもより強くなっていて、それが発言やパフォーマンスにもろに影響するのがすごくスリリング。
そうだ、論理が働かないから会話や文章がこんなにいい加減なんだな。うん、うん。
授業が始まってるけれど、自分に一番学ばされている。結局そういうことだよな、身につけるということは。

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2007年9月24日 (月)

24:光の中を泳ぐ

舞台初日を徹夜明けで迎えるのはちょっと初めての経験だった。1〜4限ぜんぶ寝ちゃったよーなんて思っていたが、まぁそんなに珍しいことではないか。
劇団の座長のようなことをやっている。企画、脚本、演出、プロデュースの決定権がある演者、みたいなよくわからないポジションだけれど。すごく辛いけどすごく楽しい。庶吹のみなさんごめんなさい、明日も踊って来ます。
腹筋の筋肉痛がすごい。別に笑い過ぎとかではない。
おいしいお酒が飲めそうだねって言い合っている。ゼミが無いうちの学科は、こういうことでもしていないと何も学べずに終わってしまいそうだ。
Compound Sight:複合的視点をあと3日間で養って、次につなげたいな。とりあえず今日満足に踊れなかったのが悔しい。寝ようっと。

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2007年9月23日 (日)

23:住めば都

辞書を引いてみたら、「住み慣れれば、どんなに貧しく不便な環境であってもそれなりに住みよく思われるものだ。」だそうで。住み慣れた我が家に、花の香りを添えて。花を買って来て添えてみても、住み慣れてないんだから仕方がない。
私は埼玉県の東武東上線志木駅付近に住んでいる。「マルイ(ファミリー)」があるってことでかろうじて都会ぶっているような所だが、今そのマルイが改装していて、今度franc francとoff&on、そしてなんと無印が入るらしい。いいね志木、これは住み慣れるかもしれないと一瞬心を躍らせたが、嫌なことを思い出した。
先月26日に偶然出会った、志木市のお祭りである。志木の祭りは、隣の新座市の阿波踊り(これもおかしいが)とは少し違っている。「いろは市」というのが祭りの名前で、道ばたに露店が出たりもするのだが、メインは大通りを占領してねり歩く、りおでじゃねいろ風のサンバ隊だ。衣装とか、よく見るとかなり凝っているのがまたダサい。チャリを走らせていて、遠くからけたたましいラテンパーカッションが聴こえて来た時は、何事かと思った。おもわず避けて回り道をしたが、それでも「なりそこないサンバ軍団」が私に与えたダメージは大きかった。当分私は住民票を横浜から移さないだろう。
私が住んでいることになっている、横浜市港北区。東急東横線沿線は今思えばクオリティーが高過ぎた。綱島に住む人の地元愛はけっこう凄まじい。綱島は綱島で、なかなかにくだらない文化はあるのだが、伝統もあり、ちょいちょい芸能人を輩出してみたり(飯島直子とかふかわりょうとか)、突然ラジウム温泉なるものがあったり、「綱島街道」が東神奈川から川崎市の多摩川あたりまで走っていたりと、知名度こそ低いものの侮れないなぁと、離れてみて改めて地元の素晴らしさに気付いた。
だからといって実家に舞い戻ろうとは思わない。魔女の宅急便のキキのように、自分を成長させてくれそうな街を見極めて、自分で選んでみたい。
とりあえず大学を出たら志木市からも出ようとは思っている。

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2007年9月22日 (土)

22:どれくらい恋に生きる

「10代の頃ってなんであそこまで人を好きになってまうんやろなー!!!」って、さんまさんがテレビで言ってた。周りの人間の多くがうなずいていた。私は驚いた。
気が狂っちゃうんじゃないかというほど情熱的な恋って、一般的には若者だけのものなのか?オトナになるにつれて冷静に、打算的になってしまうのだろうか。
そんなはずはない、と言いたいところだけど、うーん、そうかもしれないと私も思ってしまう。この前、すごく好きだった人に会う機会があったのだけれど、もう好きじゃないというか忘れていたのに、いざ会ってみると頭に血はのぼるわ呼吸はできなくなるわで案外大変だった。パブロフの犬。感情がもはや関係なくなって、条件反射で舞い上がっちゃうほど好きだったのか、あの頃の私は。
そこまで熱狂的になってしまっていては、うまくいかないでしょうよ、そりゃぁ。と、一歩引いて考えている今、あれほどまでに誰かを好きになれる気がしない。私まだ若いのにな。それは「もうあんな苦しい思いはしたくない」っていう自己保存の本能が働いているからなのかも、と考えると、私も成長したのかなって思えるけど、ちょっと寂しいような気もする。楽しく本気で恋する方法ってないのかな?いや、本気で恋しても自分を見失わないようになればいいのか。
え、それって、ものすごく難しくないか?

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2007年9月21日 (金)

21:やっぱりね

20で書いたことが早速出てしまった。「理想を高くしておいて、平気で」やぶった私です。毎日23:30の更新を目指していたのだが、3日後の舞台のミーティングが急遽23時から入ったものだから…21日目にして自分ルールを破ったのだった。でもセコいから昨日更新したことにして書くよ。
高校の時、ダンス部の友達が倫理のスピーチで「本番に強いとは」ということについて話していたのをすごく覚えている。私は本番で大失敗をした記憶があまり無いので、決して本番に弱いわけではない。が、練習以上の力を出せたことは無い。たぶん普通なのだと思う。
むかーしの記事で「私は本番に強い」と書いたこともあった。だけど、幼稚園の頃からバレエの発表会に出たりしていて、慣れているから緊張しないだけだ。本番でミラクルを起こすことは無い。練習で出来ないことは、本番でも出来ない。普段と同じくらいの完成度を、コンスタントに本番でも出してしまう。
こういう体質で良かった。普段からごまかしがきかないのだ。サボリ癖のヒドい私がもしも本番に強かったら、調子に乗って全然練習しなくなってしまうだろう。
同じく高校の友達で、すごく緊張するくせに、本番で驚くほど輝く人がいる。舞台袖で直前まで「どうしよう〜」って騒いでいるのに、いざ舞台にあがると、観客を全員味方につけて、主役をかっさらってしまうような、特別なオーラのある人だ。同級生だが、そいつは大物になると私は睨んでいる。
なんだか得な人生でズルいように思えるが、実際のその人は、ものすごく努力家で勉強家で、プライドと向上心が強い。私はその友人から、普段の意識の高さががいかに本番の出来を左右するか、しっかりと学んだ。その教訓を私はまだまだ活かし切れていないが、少しでも気が緩みそうな時は、悪戦苦闘して練習に臨むあの姿を思い出したい。以上、とても重要な本番を控えた自分への戒め。

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2007年9月20日 (木)

20:亀の甲より

素敵な歳のとり方をしたいというのはみんな考えることだけど、ちゃんと歳をとりたいっていうのはまた別の話で。アンチエイジングも良いかもしれないけれど、ふさわしい年輪を顔に・人格に刻んでいく生き方の方が私にとっては魅力的だ。美しいおばさん、美しいおばあさんになって、そんなに長生きせずに美しく死にたい。
私は脳科学がわりと好きなのだが、以前読んだ本で30歳くらいの脳科学者が、「年をとるほど物忘れがヒドくなるのはまちがい」「子供もド忘れはかなりやる」「手を動かしたりして経験して覚える記憶に関しては、大人の方が優秀」「30歳を超えた方が脳のある部分が活発になる」と、なにやら希望に満ちあふれてそうなことを力説していた。それを言われたからって「ほんと!?じゃぁ長生きしてみよっと!!」とは思わなかったけれど、自分にとって魅力的な人の層が同年代だけでなく中年まで広がったここ最近、ピーターパンのようなことは思わなくなった。
大人になりたい、というか、いい大人になりたい。むやみに歳をとるのは嫌だっていうのが微妙なところで、「気付いたら○○歳だった」って思うのは避けたい事態。「体力落ちたなぁ」「ガッツが無くなったなぁ」「若い頃の方が輝いてたなぁ」っていうセリフとも無縁でいたい。
んなこと言ってても年月は過ぎるものだから、要は過去の自分に執着しすぎなければ良いのかな。「現在の自分」と、あと1ヶ月後の自分をイメージ出来るくらいで充分という気がする。矛盾しているようだけども、「30歳までに結婚して都心のいいとこに住んで、仕事はこのぐらいやってる…ってあと○年しか無いじゃん!!」とか言いながら時の流れに抵抗し続けるような生き方は醜いと感じてしまう。
私はぐうたらだから、いつも高い目標を設定だけしておいて、平気でやぶる。でもいつも落ち着いていたいから、予定通り行かなかった自分に対して失望しないように気をつけている。ひどい自己正当化だけど、目標はモチベーションを左右するから高くしておいた方がよくて、守れない覚悟はしておいて、いざダメだった時には一通り残念に思ってから、同時に巻き返すチャンスを見極める。
そんな調子で、フットワーク軽くやっていきたい。歳に対する気負いが増えると、その分重々しくなって、若い人や子供達に煙たがられてしまう。それじゃつまらない。淡々と着実に、さりげなーく深みを増していけたら理想的だなぁ。

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2007年9月19日 (水)

19:Mushroom(5)

2007年の日本にいて、私はどんな音楽に向かって行くのかなぁっていうことを漠然と考えていた。いろんな音の姿があって、音楽に対する考え方も多種多様で、そんな混沌とした状況の中で。
私は踊って自分の体を楽器にすることもあれば、指揮棒を持つことも、歌うことも、サックスを吹くことも、ギターを弾くこともピアノを弾くこともパソコンのキーを叩くこともある。なにを極めるでもないけれど、多角的に音を見つめることが求められている。なにが音楽なのか分からなくなって嫌気がさすことも多いけれど、そういう時にヒントをくれるのもまた音楽に携わる人達だ。
ジョン・ケージという作曲家を知っていますか。「4分33秒」(無音の時間を聴く曲)が有名で、「偶然性の音楽」とか、そういうことを考えるようになった人。だけどそういう実験的なことを始める前の彼の作品も、地味に良かったりする。ジョン・ケージという人はキノコ・マニアで有名だったんだけど、何故彼がキノコを愛したかと言うと、ケージいわく「辞書を引くと、音楽の隣にキノコがある。この隣り合わせの偶然があまりにも美しい」ってことだそうだ。つまりは彼も、音楽を愛し、キノコの隣りに音楽の在る世界に陶酔していたのだろうなぁ。
偶然だろうが必然だろうが、有調だろうが無調だろうが、クラシックだろうがロックだろうが、そこに帰結すると思うんだ。人間世界に対する想いが膨らめば膨らむほど、形式を通り抜けて、音の結晶が次から次へと。
悲しみの底から突き抜けて明るい響きを作ったモーツァルトも、鬱屈した不安をそのまま鬱屈した音の流れに乗せたシェーンベルクも。クラシックに限らず、音楽をやってる人がみんな、もとを辿れば、音の世界へ対する底なしの情念だったりしないのかな。
私が生きていて音楽を続けている必然と、同じ音楽空間を誰かと共有できる偶然。私よりもずっと音楽を愛してる人と、人生の中で何度も出会える偶然、必然。
自分の内なる音を聴いて、どこに光を見出すのかを探って行くことも大切だし、それと同時に、外へ外へと耳の感覚をひらいていって、少しでも多く感動の形を知りたい。肯定のヴァリエーションを持って音楽に臨めば、こんな私でも、なにかに・誰かにぶつかって行けるかもしれない。
知識も技術も深みも持ち合わせていないけれど、これから長い時間がかかってもいい。「あなたはなんの人?」と尋ねられた時に、「私は音楽の人だよ」って、ためらわずに答えられるようになりたいのです。

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2007年9月18日 (火)

18:Mushroom(4)

観客として、運命の音楽に未だ出会っていない私だが、舞台の魔力に取り憑かれているのは確か。「音楽はナマモノ」「舞台は一度きり」それをプレイヤーの側から経験することが愛おしくて、今でも音楽をやっているのだと思う。やっぱり本番が一番好きだし、やっててよかった、と最も感じやすいのが舞台の上だ。
しかし情けないことに、ピアノと声楽は続かなかった。発表会はいつも楽しかったのだが、それに伴う練習の苦しみや、失敗の痛みの方がどうしても勝ってしまい、くじけた。総合的に考えて、続けることが楽しいとは思えなかった。
私はいつも、「感動させてもらうこと」を期待して舞台に立つ。一見逆のように思えるかもしれないが、そうなのだ。私は舞台上で感動させられたい。ピアノのように独りでやっていると、その期待は薄まる。私がうまくやればいい、それだけだから。しかもうまく行ったかどうかは自分で評価する他にない。
誰かと一緒に舞台に立つ時は違う。予想がつかない。驚かされたり、ガッカリさせられたり、笑わされたり、涙させられたり。その舞台の経験は全くオリジナルなものになる。それが嬉しい。長い期間、共に練習してきた仲間ならなおさらだ。舞台の上が一番、心で心で会話がしやすい。その様子が伝われば、観客だって味方になる。
ふと思い出した小学校6年生の時の学級目標、「心は一つ」。確かな手応えがある瞬間は、きっとみんなが私の背中を押してくれるし、私も大切な人達に力を添えることが出来ると思う。そう信じることが出来てこそ、しっかりとした足取りで舞台に向かうことが出来る。

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2007年9月17日 (月)

17:Mushroom(3)

夏合宿に行っている間に、世界三大テノールの一人、ルチアーノ・パヴァロッティが亡くなっていたなんて。
私はこの事実を今日になって、六本木のCDショップで追悼CDが並んでいるのを見て初めて知ったのだった。中学の音楽の授業で三大テノール聴き比べのようなことをやって以来、好きな歌い手だった。
トリノ五輪の開会式のサプライズゲストだったパヴァロッティ。ラストで彼が歌ったのは、歌劇トゥーランドットより「誰も寝てはならぬ」だった(youtube)。背後の幕が開いてオーケストラが現れ、厳かな雰囲気で歌い出し、最後は「この大舞台で歌えて本当に幸せだ」という表情で情熱的に歌い上げたパヴァロッティの姿に、私は心から感動した。「この開会式すごい!すごい!」と連呼しながらテレビの前で泣いたような気がする。他のオペラ歌手には詳しくないし、そもそも歌曲があまり好きではないので比較は出来ないが、はっきりと言おう。パヴァロッティは心で歌う人だ。歌への愛、音楽への愛を全面に表現する人だ。
叶わぬ願いだが、彼の生の歌声を聴いてみたかった。私は残念ながらコンサートを聴きに行く習慣があまり無いので、生演奏で爆発的に感動した経験を持っていない。一生に一度でいいから、腰が抜けるような演奏と出会ってみたい。それがあるのとないのでは、自分自身の音楽観も人生観も全く変わると思う。
そんな出会いに思いを馳せる。きっと「うまい」だけの演奏じゃ無くて、音楽に賭ける気迫や情熱に心を動かされるのだろう。そういう音楽に会いに行く努力をすると同時に、私自身も自分なりに熱い心をもって音楽に臨まなければ。

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2007年9月16日 (日)

16:Mushroom(2)

「カラオケで最後に歌った曲が頭から離れない」というのは、確かふかわりょうさんのあるあるネタだったと思う。音というのは空気の振動であるはずなのに、不思議なことだと思わないか、頭の中だけで音楽を奏でることが出来るというのは。楽譜を見れば、歌詞を見れば、脳の中で勝手に曲が流れだす。
私は科学者ではないので全て想像で話してしまうが、視覚情報も聴覚情報も、脳の中のある部分を刺激する。すると特定の電気信号が流れる。頭の中だけで音楽を再生できるということは、ある音を聴いた時の電気の流れ方を、脳が再現できることを意味する。たとえば「チェロのファの音」を聴いた時の脳の様子を、実際にチェロを演奏してみなくても私は再現できて、それが和音をなし、オーケストラを編成し、どんどん複雑になっていっても、脳は対応できるのだ。サックスで求めてる音が出なくても、想像すれば上手い演奏をしている気分になれる。サザンの桑田さんのモノマネが出来なくても、勝手に頭の中の桑田さんに歌わせることが出来る。
作曲する、編曲するとなると、今までに聴いたことの無い音楽を頭の中で組み立てる作業になるのだ。指揮をする、演奏するというだけでも、楽譜をもとに新たな音楽の姿を創り上げることに変わりはない。こんな複雑な脳の働きを、人間はよく分からないまま何千年も続けて来たのだと思うと鳥肌がたつ。
西洋音楽は数学なので、「完全に美しい」という方程式がある。ピタゴラスが「ハルモニア」と呼んだのがそれだ。しかし、それを勉強してその通りに作っているだけでは、作曲はできないし、良い演奏も出来ないと思う。人を感動させる要素を作り出すのは、人生の厚みや、他にやり場のない情動なのだろう。
情動・欲望を音にするために、私達は頭の中のオーケストラやバンドを総動員する。音楽の勉強のコアの部分は、想像力のトレーニングではないだろうか。

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2007年9月15日 (土)

15:Mushroom(1)

音楽が好きで、クラシックもジャズもポップスも民族音楽も好きで、全然詳しくは無いけれど、一生音楽とは離れたくないと強く思っている。
聴くのも演奏するのも好きなのだけれど、自分で曲を作るのも好きで、踊るための曲を自分で作ることも結構ある。和声や対位法など作曲に必要な知識を学んだ訳ではないので、感覚だけに頼る作曲方法は幼稚園の頃からあまり変わっていないような気がする。
具体的には、鼻歌やピアノでメロディーを探す。最近では、ベースラインや和音の進行から探し始めることもある。ここで重要なのは、限りなくある音の並びから自分が求めているものを「探し当てる」という考え方だ。それまでの人生で弾いた曲や聴いた曲を手がかりにして、しっくり来る音を無限の広がりの中から掘り出して行く。
そうして出来た曲は、確かに私のオリジナルのものなのだが、斬新だと自分で思うようなことは無い。自分にとって違和感の無い進行を選びとっているから、そこに現れるのは今までの私の触れて来た音楽の寄せ集めのような、馴染みのある音の姿だ。けれども既製の曲にはない、オーダーメイドの感覚が私に愛着をもたらしてくれるので、私は自分の曲で踊ることを好む。
将来的にはもっとツールや技術を身につけて、自分の要求に自分で応えられるようになりたいと思っている。ただ、それだけでは本当の表現活動では無い。
「自分の内なる音を聴く」のが作曲だと、今読んでいる本に書いてあった。作曲に限らず、演奏や鑑賞の場面においても、これは大切なことだ。いま自分に聴こえているのは何か、じっと耳を澄ませることが全ての起源だと思う。聴くことは創造的で、想像的な行為なのだ。意識による限定を極力ゼロに近づけて、私をとりまく全ての音に耳を傾けてみよう。

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2007年9月14日 (金)

14:なにしとる

こなせていないことが徐々に顕著になって来て、いよいよ「自分なにやってるんだろう感」が仕事に行き詰まったOLのようにぷかぷか浮かんで漂っている。
買っただけのCD、借りっぱのDVD、読みかけの本、食べずに腐らせたおかず、たたんでいない洗濯物(最低)。今月の24日からは舞台の本番が始まる。そういえば履修も組んでいないような気がする。
それなのに、駄文を毎日書き殴っている。考えるのをやめるのがこわい。放っておいたら、脳がまた眠ってしまいそうだ。嘘でもいいから、思考のスピードを失いたくない。
阿呆だなぁ、と我ながら思う。なんだろうね、考えてることとかをここまで垂れ流す意味って。自己主張のつもりだけど、自虐とも自己実現とも自分探しとも取れそうだ。ていうか実際自虐。ひいてたら本当ごめんなさい見捨てないで下さい。
だけどもだっけーど。あたしの迷走は、創作の糧になるんです。だから、痛々しくても嫌気がさしても続けようと思う。ここから作品が生まれる時が、あたしのほんとの自己主張。

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2007年9月13日 (木)

13:怒って欲しい

うまく立ち回る性格なのか、ただ怖いのか、私はほとんど怒られることがない。お説教を喰らうことも無いし、喧嘩も少ないし、「注意」を受けることすらほとんど無いような気がする。そのことに劣等感を抱いていて、怒られてばかりいる人をすごくうらやましく思う。
別に怒られるのが好きなわけではない。怒られることに対して免疫が出来ていないことが嫌なのだ。慣れていないから、怒られた時に過剰にビビってしまい、怒っている人の言っていることを冷静に聞けない気がする。一見得なように見える「怒られない」という性格が、致命的な欠陥になっていやしないか?
とは言っても、まさか本当に周囲の人を誰も怒らせないような穏やかな人間ではない。遅刻はするわ、〆切を破るわ、言葉使いは汚いわ、相当の迷惑女だと思う。
特に自覚無しに周りを振り回している時、その場ではみんな優しく受け流してくれるのだが、あとで自分で気がついてから、自分はなんて困った人間なんだと途方に暮れる。冷静な判断が出来なくなっている時、誰かなにか言って欲しいと頼りなく思う。突き進んでいる方向に自信が持てなくなっている時、間違いを正し導いてくれないかと淡い期待を抱く。
ここまで書いて気付いたのは、私がとんでもなく他力本願の甘ったれだということ。あまり怒られない性格なんて、この歳で別段直すべきものでも無い。唯一の解決策は、自分が自分の説教マシンになることだと思う。自省が欠かせないな。やっぱり怒ってくれる人の存在はありがたく、貴重なものだ。怒られている人は、自分の目の前の人をぜひとも大切に感じて欲しい。

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2007年9月11日 (火)

11:フィクション

おやこ喧嘩

母「何が言いたいの」
娘「じゃ、たとえばだよ。
  もしあたしがお父さんを殺しに行くって言ったら、
  お母さんさぁ、なんて言って止められる?」
母「あんなの殺したってしょうがないじゃない。
  どうせメタボで早死にすると思うよ」
娘「いやいや、ふてぶてしいタイプは長生きするもんでしょ。
  とうぶん死なないよ。」
母「あれが死んだらお金に困るわよ。
  どうせあと10年で定年だけど」
娘「そっか。え、そしたらどうなるの?」
母「再就職するでしょう。70まで働くんじゃない。
  その頃には私はもう死んでるから大丈夫でしょ」
娘「え、めんどくさいよ。葬式とか困るんだけど。
  あたしはどうすりゃいいの。」
母「無視してればいいよ。」
娘「そっか。でもさ、あたしがイライラし始めたら、もう
  どうなるか、ほんと、わかんないからね。」
母「そうなったら施設に監禁でもしようかねぇ」
娘「いいね。それなら助かるわ。」
母「じゃ、そろそろ行こうか」
娘「あたしの荷物持って」

ゆっくりとコーヒーを飲んでいたら、不意にこんな会話が耳に入ってきたものだから、私は思わず唇をヤケドしそうになった。

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本谷有希子 「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」の映画版のシナリオを読んで、私も同感したから書いてみた。「やっぱお姉ちゃんは、最高に面白いよ。」

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2007年9月10日 (月)

10:花占い

花びらの数で好きか嫌いか決められるほど柔軟な感情だったら、どんなに生き易いだろう。どんなに平和だろう。どんなに淡々としているだろう。
「好きなことについて語らせたらアツい」というのはだいたいの人が当てはまりそうだ。何かを好きになったら、もっと知りたくなる→新たに好きなポイントを発見する→前よりも好きになる、っていう循環にハマるパターンで、好きなもの・好きなひとの好きなポイントは、いくらでも出てくるようになっていく。さらに、その中で「好き」は細分化されていって、「マンガはだいたい好きだけど、ミステリーっぽいのはどうも好きじゃない」「あの監督だったら、この映画よりも前作のほうが面白い」「彼は好きだけど、ここさえ直してくれればもっと良いのに」とかなんとか言うようになっていったりする。
「好き」の感情はそうやって丁寧に育てられていく。ここで私が問題にしたいのが「嫌い」の感情で、人は意外と「嫌いなもの・ひとについて語ってください」とか言われたら「なんとなく嫌いなんだ」「嫌いなものは嫌いだ」とはねのけてしまったりすることがあると思う。何かキッカケがあって「嫌い」の方向に転んだら、それっきり、「極力、近寄らない」という道を選びがちになる。つまり、一度嫌いになってしまったが最後、それ以上よく知らないまま、嫌いだなぁと思い続けてしまったりもするのだ。近寄らないのだから、キッカケとも巡り会わない。「好きだったのに嫌いになる」よりも「嫌いだったのを好きになる」確率の方がずーっと低そうだ。だいたい、これは好きでも同じことが言えるけれど、嫌いだと思っていると嫌なポイントばかりが目に付いてしまうのだから、なおさらだ。食わず嫌いとはいかなくても、ちょっぴり齧っただけ嫌い、みたいな「嫌い」は結構世の中に多いと思う。自分の嫌いなことについて、一貫した根拠を持って理路整然と語れる人は少ないんじゃないだろうか。
自分の好きなものを挙げてみよう、とは思ったんだけれど、嫌いなものを挙げてみよう、と思わなかったのは、嫌いの理由がそれだけ曖昧だというのがある。それに、無意識のうちに「近寄らない」という姿勢をとってしまっている自分をうしろめたく思う。固定観念を捨てよう。広い心をもとう。
好きと嫌いの感情に振り回されるのは、むしろのぞむ所だが、嫌いの感情に囚われるような在り方はあまり楽しくなさそうだ。花びらのように気ままに宙を泳ぐ感性で、好きと嫌いのあいだを漂っていられたらいいと思うのだけれど、なかなか難しいだろうなぁ…。

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2007年9月 9日 (日)

09:うつ病治療のその後

去年の1月、私は入試を受ける以外ほとんど引きこもっていて、2月になってようやく母に付き添われて散歩ぐらいには行けるようになったという感じだった。友達にはうつ病になったことを伝えなかったから「受験勉強のために学校休んでる」と思われていて、誰かに言いたい気持ちがちょっと強くなってきていたから、最近は同じ病気の人も多いだろうしと、受験が終わったその日にブログを開設したのだった。もう最近は病気のことなんて思考から消えかけているから書かないけど、当時は飲んでる薬とか症状とか書いたりもしてて。このブログの存在自体がカウンセラー、みたいな部分は結構あったと思う。
今でも通院してるし、薬を飲んでいる…ことになっている。坑うつ剤(SNRIのトレドミン)と抗不安剤(ワイパックスと同じ成分のジェネリック)、睡眠導入剤(ロヒプノール)っていう組み合わせでしばらく来てたんだけど、途中で面倒くさくなって坑うつ剤は飲むのをやめて、他のも今は時々しか飲んでいない。お医者さん的にも「徐々に減らしていってる」ということになってるから、まぁいいやって感じで。本当はダメです医者の言いつけは守りましょう。
精神的に健康な生活は心がけている。運動したり、遊んだり、部屋を綺麗にしてみたり、母と頻繁に電話で話したり、だらだらテレビ見たり、たまには長時間寝たり。体力もかなりついてきたし、薬をやめてからよりいっそう、「私は周りと違う」という意識が無くなった。実際にあまり違わないと自分では思う。
だけど油断は大敵で、うつ病は一度長引くと完治まで数年かかったりもするとかしないとか。それでも「完治」なんて気の持ちようだと割り切ってみたら、それほど息苦しくもない。こんなもんだろうと思いながら、なんとか墜落せずに低空飛行を続けてきている。そもそも普通の人だって、年がら年中調子のいい日ということはないんだから。
最近はうつ病もピンキリらしいけれど、こういう病気に関しては線を引く必要もないと思う。周囲が理解すると言っても難しいし、とりあえず死なないように気をつけていれば、わりと放っておいてもなんとかなるケースだってある。そこは人によりけりだけど、私なんかは完全に放牧タイプなのだろう。ラクな性格でよかったと心から思う。
指揮者に立候補した時、「治ったら私はもっと頑張れる」みたいなことを言ったりもしたけれど、いつだってもっと頑張れるんだから、頑張れるだけ頑張っておいた方がいい。「頑張れ」と言われたくないがために、そう自分に言い聞かせている。
さて、書いてはみたものの、あんまりまとまらなかった。そういえば朝青龍は元気かなぁ。ああいう立場の人だと放っておくわけにもいかないか。

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2007年9月 8日 (土)

08:KY

池袋に拠点があるにも関わらず、世間よりもひと呼吸遅れて私の周りにやって来た流行語、KY(空気読めない!!)。
私は、この言葉が、嫌いだ。
空気なんか読んでないで、堂々としてろよ!と負け惜しみではなく言っていたい。自分でももちろん、びくつかないで堂々としていたい。周りの顔色なんてそっと「伺う」程度が良いのだと思う。読解するものではない。というか、読み取れる空気がそこに存在するのか??
「空気」という言葉自体は、とても大切に扱いたいと常々思っている。私の人生のキーワードと言ってもいいほど、「空気」は大事だ、重要だ。けれども、それは個人のレベルで読んでどうにかするような次元には存在していない。ピアニッシモのところで、思いっきり爆音を鳴らす人には、「楽譜を読め」と言えばいい。しんみりした会で過剰にオチャラケている人には、「主催者の意図を読め」と言えばいい。みんなが笑っている時に一人で黙り込んでいる人には、何も言わないのがいい。
KYと言われる人が読んでいないのは、実は空気なんかじゃない。周囲の期待や、その場限りの見えない規則や、わきまえるべき身分や、つまらない常識だったりするだろうと、空気を読まずにあえて言ってみたかった。

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2007年9月 7日 (金)

07:なぐさめる・弱音を吐く

落ち込んでいる時は、なぐさめて欲しかったり、励まして欲しかったり、寂しく思ったりもする。人間なので、当然といえば当然だ。なのに、いざ、誰かが落ち込んでいるという場面に出会うと、どう立ち回ればいいのか分からず、おろおろすることが多い。で、面倒になって、結局はなにもしない。
それって最悪だなーと、反省している。だけど同時に思うのは、落ち込むのだって難しいんだということ。
落ち込んでいるのを周りに悟らせないのが私としてはベストだが、いつも、みんなが、そうやって無理に気を張っていたら、すごく疲れた人達になってしまうし、薄っぺらいし、信頼関係もなにもあったもんじゃない。もちろん体調も崩すし、あちこちにガタが来る。
個人の体力・精神力レベルでもそうなのだけれど、人間関係ってものを築く上で、ダメな時にうまく弱音を吐くことは重要なファクターなのだと感じる。
なにも本音じゃなくたっていいのだ。嘘の音でもいいから、ひとまず発音しておくのが、のちのちの自分と周りにとってプラスになることだってある。
弱音を吐かれた側としては、受け流すラインと本気なコアの部分との見極めを要求されているかもしれない。そう考えると、人間力のぶつかり合いになっちゃうんだけれど、これはなかなか訓練のしがいがあると思う。とりあえず上手く弱音を吐く方法から身につけたいと。今の私のままだとちょっと、インターネットがあれば生きていけます系の寂しい&イタい子になりかねないので。

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2007年9月 6日 (木)

06:小学校の先生

今の公立小学校がどうなっているか知らないけれど、「道徳の時間」って案外あなどれないと思う。うちの学校は道徳教育やレクリエーション系にかなり力をいれていた。呑気でのどかで、本当に良い小学校だった。
私は「おとなしくて、よく勉強してて、自分の意見を言わない子」というキャラで9歳くらいまで通していた。まぁそれも学校の中でのものなので、家に帰ると近所の友達と外へ虫を捕りに行ったり、友達の家へゲームをしに行ったりしていたのだが。授業中は指されないと発言しなかったし、学級会でも黙っていた。
小学校3年の真ん中ら辺で、「今日の道徳の時間、一度も発言をしなかった人はみんな教室に残りなさい」という御触れが下り、放課後、私達は説教を喰らった。担任はよく怒る先生だったが、私は悪いことをしなかったので普段全く怒られなかったため、ちょっとその時はビックリした。そして、こともあろうに、次の日から私は、授業中にもバンバン手を挙げる目立ちっ子にがらりと変身したのだった。今思えば、完全に「先生達に気に入られたい」というヨイコ魂である。よくもまぁいじめられなかったものだ。
その説教をした先生以外にも、音楽の先生や、4〜6年の時の担任からも影響を受けまくって卒業した私は、しばらく本気で小学校の先生を目指すつもりでいた。しかし高校に上がると、周りには教員志望が多く、その中で改めて考え直してみて、自分の夢の重大な欠陥に気がついた。私はただ他人に影響を与えたいだけで、別に子供が好きという訳では無いのだった。即座に教師への夢は捨て去り、進路をゼロから考え直した。あのまま突っ走っていたら、もしかしたら私は子供嫌いの空回り熱血教師になっていたのかもしれない。あぶないったらもう。

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2007年9月 5日 (水)

05:題名の無いなんちゃら

「無題」っていう絵画とか句とか歌とか、ずるくない?と思うのだ。しかもたいていそういう作品は、とても素晴らしい出来だったりとかして、「かえって題名なんかつけない方が、この作品は魅力的だ」という解釈を他の人にさせている。
作品を創って、完成に近づいてくると、【題名をどうするか】が問題として残ることが多い。今までさんざん苦しめられてきたのに、最後にデカい問題に突き当たり、さらに悩むハメになるのだ。題名が途中で決まると、その後の創作の方向性が変わってきたり、最初から題名を決めていても、あとで作品と合わなくなってきて考え直したり。
とにかく大変なんだから、その苦労も含めて作品を創作しなさいよ、と言いたい気分なのだ。
しかし、だ。そんなことを言ったら終わるジャンルがある。「ピアノ協奏曲第3番」「四重奏曲op.109」「アレグロ ハ短調」「3つの即興曲」などなど…。ほとんど題名なんてつけたことが無い、クラシックの古い作曲家たち。形式が名前なんだもんなぁ、ずるいよなぁ。だけど、私はそういう作品はかろうじて「無題」のレベルを脱していると思う。形式的な名前でも、少なからずコンセプトを表明しているから。
人間の名前が人格にとって大事なのと同じで、作品名だって大事な「その人の体の一部」なのだ。

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2007年9月 4日 (火)

04:ウチはウチ、よそはよそ

小学校低学年のころ、隣の隣に住む1歳上の友達がいた。カオリ(仮)ちゃんは、やんちゃでわがままで面白くて、姉妹のようによく一緒に遊んでいた。運動神経がよくて、絵がうまくて、私たちは同じアトリエに通っていた。カオリちゃんのお母さんは漫画家で、猫を主人公にした漫画を描いていた。私と我が家の猫もちょろっと出演させてもらったことがある。
私が小3くらいのある日、カオリちゃんの両親が離婚したと聞いた。夫婦仲が良かったように見えたので、とても驚いたのだが、その理由を聞いてさらにたまげた。ここのところカオリちゃんと彼女のお父さんの仲がものすごく悪く、それが離婚の原因だというのだ。その後しばらくして彼女らは引っ越してしまった。
私は正直、その一件がとてもうらやましかった。カオリちゃんのお父さんは私から見れば素敵な人だったし、あの子のことだから思春期の気まぐれだったんじゃないかと思う。だから本当の原因はそれだけじゃないんだろうけれど、当時の私にしてみれば、仲良し夫婦を離婚させるほど権力のあるカオリちゃんはすごいと思った。
私も同じようにうまくやれないか、と考えていたフシがあったかもしれない。それに私はお母さんっ子だから、しょっちゅう母がこぼす愚痴を重く受け止めた。
私と父がまともに会話をしなくなって、たぶんもう7年くらい経っている。今は別々に住んでいるのでたいして気まずくもなく、まぁいいかと思うようになった。一昔前に「家庭内別居」というコトバが流行したけれど、そこから本当の別居(というか単身赴任と下宿)に進化した。
考えてみればカオリ家はお父さんが外資系かなにかで、お母さんがちょっと売れてる漫画家で、余裕があったのだが、我が家はそうもいかない。諦めた私は完全に開き直っているのだが、このことを他人に話すとたいてい深刻がられて、「お父さんがかわいそうすぎる!!」とか「早くなんとかすべき」と言われる。やっぱダメっすかね。
家族だから親戚だから、無条件に愛すべきっていうのは無理があると思う。父以外にも嫌いでしょうがない親戚がいるし、父方の親戚でも私と仲の良い人達はいるし、普通の多様な人間関係だ。血のつながりなんて、責任でしか無い。責任があるから愛おしかったり、うっとおしかったり、ややこしくなりがちなのだ。
認めたくはないが、私と父は、顔も性格も癖もかなり似ている。父はメタボなのでせめてそこだけは似たくないけれど。私は楽観的だし、母は弱気だし、父もあまり気にしていなさそうだから、このまま行けばいいんじゃないのと思うのだが、高校の担任に仲直りするようこんこんと諭されてからは、何度か父と仲良く話す夢を見たりして、そんな自分にウンザリだった。

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2007年9月 3日 (月)

03:やると言ったからには

中学の吹奏楽部での部長は先輩からの指名、高校での副部長は一応推薦してもらった。高校のJAZZ楽団の代表も先輩から任命されて引き受けたことだし、生徒会(もどき)もあまり選ぶ余地が無かった。だけど全部やりたくてやっていたのだから、いつもそれなりに一生懸命だったと思う。
いま、大学の吹奏楽団で学生指揮を、ダンスサークルで代表をやっているが、どちらも自分でやりたいと言って選んだ道だ。私がこの手を挙げて始めたことだ。さくらももこさんが言っているのだけれど、「今やっていることは自ら進んで選択したものだ」と常に自覚していることは大切だと、最近特に強く感じる。立候補も推薦も、なってしまえば別に変わらないよとは思うが、それでも「こうしたい」という気持ちが強くてやっていると、ヴィジョン通りに行くか行かないかによって、モチベーションや結果が左右されやすい。良くも悪くも、だ。
逆に、やむをえず引き受けてやっていることでも、ヴィジョンさえあれば、責任感を持って成し遂げられるのかもしれない。モチベーションって、“具体的なヴィジョン”と“愛着”で出来ているような気がする。愛着の部分もすごく大きいけれど、それだけじゃぁやっていけないんだよな。どっちが欠けてもダメです。

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2007年9月 2日 (日)

02:社会にエントリーする

将来の進路選択として、なんとなく社員にはなりたくない、企業に就職はしたくない、そう思っている。これという理由はないのだけど、直感として、私はたぶんそういうことに向いていない。企業にも色々あるけれども、一度長期でバイトでもしてみれば、確かめられるだろうな。
企業への就職は考えてないっていう人は案外周りにいるのだけれど、そういう生き方を選択する気合いとか覚悟って「いざ」という局面でいきなり発生するような甘いものではないと思う。私は今からとても緊張している。独りで生きる覚悟を、私はその時までに身につけられるだろうか。
山田ズーニーという人のポッドキャスト「おとなの進路教室」をわりとよく聞いている。その人が「社会にエントリー」という言い方をする。企業の一員として、誰かと協力して、あるいは自分の身一つで、社会にエントリーする。それってどういうこと?どんな方法があって、どんな困難が待ち受けているのか。ズーニーさんは30代なかばで出版社で働くのをやめ、紆余曲折を経て、今は本を書いたり進路指導をしたりと、色々やっている人だ。
企業で働かないということは、フリーランスとして生きること。その厳しさを実感するのは、「本当にどうしたら良いかわからず、なんのアテも無い」という場所に立たされた時ではないか。友達はいても、同僚はいない。先輩はいても、上司はいない。戦場では一人きり、全ての選択の責任は自分の身に降りかかってくる。
企業で働くのも決して甘くない、難しい。けれど、フリーランスで頑張ることは、最終的に自分しか頼れない、とても不確かな生き方だと思う。野垂れ死ぬかどうかの瀬戸際で、100%の自分を出していく。少しの楽観と、背負い切れないほどの野心を、「その時」に向けて育てて行くことを、私なりの準備としてしばらくは続けてみたい。

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2007年9月 1日 (土)

01:関西への憧れ

京都の大学を受験しようかと本気で思っていたくらい、関西に住みたいという気持ちが強い。とは言っても、最後に行ったのはたぶん中学の修学旅行で、思い出もその程度だし、あまり詳しくもない。しかし、その修学旅行で感じた居心地の良さが忘れられない。親の許しがあったら、たぶん関西のどこかを本当に受験していたと思う。
両親は2人とも京都の大学出身で、私も実は大阪生まれ。大阪の高槻市で幼稚園時代を過ごし、6歳で横浜に引っ越して来た。それからも時々、大阪の祖父母の家に帰っていたが、ここ数年は行くこともなく、手紙のやりとりすら少なくなっている。
幼稚園では友達も先生も当然大阪弁だった。そんな中、私は一人だけ標準語を貫いていた。どんな印象だったのだろう。もしかしたらあか抜けて見えたのかもしれない、今思えば5〜6歳が一番のモテ期だった。
だけど大阪弁を無理してでも使っておけば良かったと、とても後悔している。祖父母も父も母も標準語、私の親戚はどこ出身だろうがオール標準語だ。全く面白くない。英語なんかよりも、ネイティブの大阪弁を習得したいものだ。この歳では無理なのが分かっているからなおさらだ。自分の大阪弁が不自然なのはもう自覚しているので、最近は関西のノリでツッコミたい時でも泣く泣く我慢している。私を含め、たいていの日本人はカタコトの関西弁に非常に厳しい。下手に口にしようものなら、刺すような冷たい視線を喰らうハメになる。
私の関西進出を止めるのに、母は自分の大学時代がいかにアウェイだったかを語り、周りのみんなが関西弁であることの悲惨さを切々と私に訴えた。むしろその環境を望んでいた私にとってはなんのこっちゃだったが、そのことを実感した出来事があった。去年の夏休み、東京の森下で行われたワークショップに参加したのだが、何故か関西人の比率が高く、講師も関西弁だった。勉強にはなったものの、5日間打ち解けられなかった私は、すっかり精神的に参ってしまい、最後は行くのが嫌になった。母が言っていたのはこのことだったのか…。
日本の内側における言語の壁は、そこらの海外よりも高いのかもしれない。それでもやっぱり関西に住みたいと、今も時々思う。大阪出身だと判明した時に「大阪弁しゃべって」と言われ、ごめんと断るのは悔しいものがある。さすがにそんなリクエストは帰国子女に「なんかしゃべって」と言うのと同じで、無茶ぶりなのが分かっているので、今では滅多にされなくなったが。

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00:イントロダクション

8月、すごくいいかげんな過ごし方をし、
あげく夏バテまでして周りに迷惑をかけた自分への戒めと、
思考力&表現力を鍛えたいという想いから、
これからの一ヶ月間、このブログの趣向が変わります。

具体的に言うと、
1)更新頻度が高くなる。たぶん
2)ですます調じゃなくなる。面倒だから
3)改行も減る。面倒だから
4)日記というより随筆とかそんな風になる

ううむ…。完全な見切り発車ですが、
気が向いたらどうぞお付き合い下さい。

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